2018年08月22日

ある有名国会議員の死から思ったこと 


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皆さん、覚えていらっしゃるでしょうか。
3.11大震災のすぐ後、民主党から復興大臣になった人。

宮城県庁を訪れた時、県知事が遅れたことに腹を立て、
復興の話より大臣(自分)への接し方を教育したこと。

宮城知事から出された漁港の整備要望書に
「県でコンセンサスを取れ。そうでないと我々は動かないぞ」

行方不明者多数、自分の家族の安否も分からない、
住む家もない、これからどうしようと絶望のど真ん中でした。

こんな時にいくらなんでも仕事を増やす
「コンセンサスを取れ」はないだろうと思いました。

ここでの大臣として言わなければならなかったことは
「最大限に応援するから、知事として復興に努力してくれ。
困ったことは何でも言ってくれ」ではなかったかと思います。

また「知恵を出さないやつは助けない」とまで言ってしまいました。
被災者でなくてもゲロが出る位、腹が立ったと思います。

岩手では県知事に「九州人だから東北は分からん」

福岡市選出の議員でした。
親の地盤と民主党ブームで楽々当選しました。
そして大臣に。

しかし、次の選挙では落選して政界を引退。
いつまでも議員の看板を下ろさなかったところを見ると、
まだ未練が残っていたと思いますが、
先日亡くなってしまいました。

個人資産は民主党の中で鳩山氏に次いで2番目だったと思います。
福岡市内に広大な土地を持っていて、お金の心配は全くありませんでした。

暴言で世間の批判を浴びたら病院に入院して雲隠れ。
地元の知名士ですので病院との繋がりも深かったと思います。

お金に糸目を付けず、
自分の持っている人脈から最先端の医療、
著名な医師の治療も受けられたと思います。
実際そのようにしたと思います。

しかし死は無常、どうにもならないこともあるようです。

どうせ死ぬのなら悪い思い出を残さないで死にたいものです。
もしもこの議員が身を粉にして震災の復興に尽力していたなら、
死を悼む気持ちも違ったものになったのではないかと思います。

死者については悪く言わないのが常識ですが、
いつ死ぬか分からない人生、
あえてこのようなことを書かせてもらいました。
ご冥福をお祈りします。


posted by ふうちゃん本舗 at 09:48| 店主敬白